ベルクソンの道徳と宗教の二源泉を読み始めたばかりなのだが、社会と人間の関係はある種有機体とその細胞のそれに似ている。社会的規範は意識されない限りは静かに実行され当然のものとして受け止められる、云々という内容が出てきて、それで、孔子様の六十にして耳従い、七十にして心の欲するところに従いて矩をこえず、という言葉を思い出した。
論語には、「郷党」(第十)という篇があり、ここには、弟子たちが孔子様はこういうときにこうされた、などという孔子様の普段からの行状を綴ったものだけでほとんどを占められている篇がある。中江藤樹(ウキペディア:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%B1%9F%E8%97%A4%E6%A8%B9)は、論語の解説は郷党しか残さなかったことが小林秀雄さんの「本居宣長」に書いてある。そういうことも思い出した。
志学、而立、不惑、知命、耳順、とたどり、心の欲するところに従い矩を超えず、と年齢に沿って辿る一筋の道と、われわれの幼いころから自然と従うように訓練されたところの社会的規範とどう違うかはこれから読書の楽しみである。
読書メモとして書いておいた。
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