ここにおいて、第3章第5節ででてきた純粋記憶、と純粋想起を区別すべきかどうかを悩んでいる。運動習慣を純粋想起、純粋記憶をイマージュ想起という考え方も可能であるからである。しかし、第三章ではまず、知覚と純粋想起がまったく別の質が異なったものと考えたのであるから、そうもかんたんにいかないところがある。
つまり、運動習慣とは純粋想起が知覚と結びついたもの、純粋記憶は純粋想起とイマージュ想起の双方の性質を持ち、なおかつイマージュ化されていない純粋想起についても含んでいる、と言って良いかもしれないところがややこしい
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