なぜか、私がブログを書こうとすると、様々な思ってもいないような反応があって当惑し続けてきた。
例えば地味だとか、シーズしか考えていないとか。
いつのまにかノーベル賞だとかなんだとかで無理矢理やらされたことなどまったく苦痛そのものであり、世間の嘘がと強欲が発覚した現在、のびのびと読書もできるようになり、将来の希望は無くなったにしても、このような環境を取り戻せたことを本当に幸せに感じている。
それなのに世間はまたも色々注文をつけ偉そうにも只働きを強要する。あきれてものが言えないとは、このことた。
ところで、現在は都知事となられた猪瀬直樹氏の「ミカドの肖像」をこの頃拝読していて、思い当たったのだが、私の行動を、大衆消費社会における消費財と見なしているのではないか、ということだ。
例えば、現在は、旧軽井沢と呼ばれている、一部の人だけのものであった別荘地を大衆にも頑張れば手が届く、そういう商品を提供していく、そのようなことと、同一視されたのであろう。
本当に苦笑せざるを得ない。
もともと、インターネットは、寄付文化であり、私はGNUのさまざまなソフトウェア開発ツールに感銘を受け、そのような良いことを、社会に対する感謝のきもちを表すために、いわば、恩返しとして、やろうと思ったのであり、その意味でまさしく、ツールとしての、知識を提供する事がそもそもの目的であり、消費行動のための商品ではなく、むしろ、創造を支援するための、知的財産(IP)を提供する事が大きな目的である。
何度も述べたことだと思うのだが、どうも、その辺りを取り違えておられる方が多数いらっしゃるようであるので、改めて、記事を起こし注意を促す次第である。
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