2011年12月26日月曜日

美を求める心と万葉以前


美を求める心」という小林秀雄さんの講演を元にした評論に、こういう言葉があったと記憶している。

「すみれを見て、そのすみれの美にじっと向き合うことは難しい。大抵の人は、ああ、すみれか、と思ったらすみれを見ることをやめてしまう。美に言葉は邪魔なんです」

文字を使うようになったわれわれは、文字がもたらす観念の世界に生きている。すみれをみてすみれという観念を思い出せばそれで十分なのである。しかし、美とはそういうものではない。すみれをじっと見続けることに我々の唯一無二の体験があるだろう。そのすみれは、すみれという観念の元に括られるだろうけれども、そのすみれはわれはれがじっと見続けることで、われわれに一期一会と言うべき唯一無二の姿を見せるだろう。それこそが本当のすみれの美しさというものであろう。その姿は互いに生きているがゆえにもう二度とは見ることはできない。そこにはスミレの現在の姿と共にわれわれ自身が映し出される。

「美に言葉は邪魔なんです」という言葉をもう一度味わって欲しい。われわれは、言葉に支配されて、あらゆる観念を自由に使いこなしているようで実は観念の制限するもとにしか物事を見てはいない。

これが、万葉以前、古事記の神話の世界を理解しようとするときに最も重要な概念、というよりむしろ行動と言った方が正確であろうが、であり、文字を使うことによって、そこでわれわれが失ったものなのである。

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