2011年12月21日水曜日

小林秀雄の「道」


最近も様々なストレス要因に悩まされているのですが、その大きな要因の一つに、まだ何か隠しているんだろう、と疑われる事があります。私は何も隠していないのに。それは、見ていれば(そして見ているはずなのに)分かるはずの事だと思うのですが。

そのことについて、いろいろ考えていました。私のようなしょっちゅう大小様々なミスをやる田舎者と「間違わない」という事を重視する文化の違いか、言い方を変えれば「とんこつラーメン」と揶揄される私の行動か、「醤油ラーメン」に象徴されるような、粋な文化かの違いなのか、という事を考えていました。

そういうことも否定はできないかもしれないと思います。しかし、私のやり方として、振り返って思うのは、無心に考えていれば、何かこういうものがあるのではないかなあ、という着想が得られ、それが結果までたどり着くと、として学問の道に沿って歩いていたという事になるのではないか、と思うのです。それが、小林秀雄さんの「無私の精神」であり、学問の「道」ではないかと思います。

小林秀雄さんの作品の集大成は「本居宣長」であり、そこには、小林秀雄さんの学問の道というものが詳細に描かれている、と私は今日、いろいろ考えている時にはっと気付きました。(なので、所用で外出のあとしんどいけれど、今書いています。)だからこそ、アレはまるっきり全部読み通さないと分からないものでもあります。と、私は、自分がそのことを言いたかったけれど、今までうまく言えなかったという事にほんのつい先ほど気が付きました。

くどいようですが、小林さんの著作を読み返したりしてこの考えの考察をするということをやっていない以上この考えは十分ではないであろうけれども、私が基本的に隠し事はしないと証明するためにも、今書いています。

つまり、言い換えれば、まだほんの思いつきの段階で書いているのですが、それはそれとして、何処まで思いついているか、という事も書いて皆さんにわかって頂きたいとも思っています。

ここまで、「小林秀雄の学問の道」というもの、そしてその集大成が「本居宣長」であり、それを通読しない限り、小林秀雄さんが本当に残したかった「学問の道」の軌跡は分からない、という事についてふっと気付いたという事を述べました。実は、このような事を書いてある作品が、小林秀雄さんの「モーツアルト」の評論ではないかと思います。私は、楽譜がきちんと読める人間でもないし、モーツアルトの膨大な作品群を詳細に調べたなどという経験もないので、ではないかと思います、という事になってしまいますが(そして、それは、この文章の性質上、仕方なくやっている事をご理解頂きたいのですが)、私は、小林秀雄さんがモーツアルトの天才は才能ではない部分にあるということで、モーツアルトの手紙からこのような分を引用してた、という部分を記憶によって書きます。(記憶によるのも、この文章の資料的な意味を重要視するためで、調べようと思えば調べられない事はないのですが、敢えて調べずに書きます)

「自分の才能があるとしたら、それは一度思いついた曲を忘れない事にある。曲はあるとき一遍にわき出してきて、それを忘れない事が、私の才能になっている」

以上のような事を小林さんはモーツアルト手紙から引用していたように思います。(繰り返しますが、この文章の資料的な意味を重要視して、記憶のみに頼って書いています)

小林さんは、『天才には天才すら容易に思える時が来る、ゲーテは「天才とは努力しうる才能の事だ」、云々』、と「モーツアルト」の中に書かれていたと思うですが、このことは、端的に小林秀雄さんの「道」を示す部分だと思います。(ちなみに日本では、この部分はかなり有名となり「天才とは努力しうる才能の事だ」というゲーテの言葉は小林秀雄の言葉だと多くの人が思っていたくらい。

(実は、生半可に読んでいた時の自分もそうでした。これをきちんと指摘したのは谷沢栄一(Wikipedia:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B0%B7%E6%B2%A2%E6%B0%B8%E4%B8%80))

さて、私の思いつきを端的に書いたのですが、これが「道」として証明されるには、小林秀雄さんの「本居宣長」の解説をやる事によるでしょう。正直、様々な案件が溜まっており、また、私の将来が不透明である以上、いつになるか分かりませんが、いつかこの道すなわち、学問の「道」というものをを証明できれば良いなあ、と思います。

あと、最後にこういう文章を残しておきます。ここまでの文章も含めた、本居宣長の解説の前書きになろうか、という部分です。(勿論思いつき)

『小林秀雄の『本居宣長』を解説する事になった。非常に重荷であるが重い荷を運ぶ役を今度は自分が仰せつかったのであろうとあきらめて書くのである。ここには様々な要素が詰まっている。その最大のものは「学問の道」であろう。『道』というのは文字通りの意味で、そこを辿っていさえすれば、野っぱらや山の中で遭難するような事はなく、いつか目的地にたどり着く、という意味だ。何処にも道は通っている。学問においてもその通りなのであり無心に「如何にせん」と問うていれば、必ず『道』は見つかるのである。「本居宣長」には、小林秀雄の無心の問いとその通った道のりが描かれている。それは、「本居宣長」という人の一生を描く事でしか表現できなかったという道なのである。今回の解説では、心脳問題の中心的課題である二心論の重要なポイントがまず初めに書かれている。これが、こうではないか、という小林秀雄さんの着想だ。無心に問うた結果、こうではないかという結論が得られた。そして、「学問の道」に沿ってその「道」自身を描きながら、その思考の行程を見せている。そのことを読者に十分に味わって頂くという事が、私のこの重い荷を背負って辿る文章の目的となるだろう。』

以上、何一つ隠さず書きました。ずっと問うている事がこの文章という結果になっている事をどうぞ、私の誠実さとご理解下さいませ。

2011年12月23日−追記

小林秀雄『モーツアルト』より、より正確に引用すると、以下の通り(ただし難読と思われる漢字はひらがなに直した)

「天才とは努力し得る才だ、というゲエテの有名な言葉は、ほとんど理解されていない。努力は凡才でもするからである。しかし、努力を要せずに成功する場合には努力はしまい。彼には、いつもそうあって欲しいのである。天才はむしろ努力を発明する。凡才が容易と見るところに、何故、天才な難問を見るという事がしばしば起るのか。詮ずるところ、強い精神は、容易な事を嫌うからだという事になろう。自由な創造、ただそんな風に見えるだけだ。制約も障碍(しょうがい)もないところで、精神はどうしてその力を試す機会をつかむか。どこにも困難がなければ、当然進んで困難を発明する必要を覚えるだろう。それが凡才には適(かな)わぬ。抵抗物のないところに創造という行為はない。これが、芸術における必然性の意味でもある。あり余る才能も頼むに足らぬ。隅々まで意識され、何の秘密も困難もなくなって了(しま)った世界であってみれば、、− 天才には天才さえ容易とみえる時期が到来するかもしれぬ。モツァルトには非常に早く来た』



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