2011年7月23日土曜日

シュレディンガーの猫のパラドックスを私なりに説明してみた

一般に量子力学では、一般的な常識とは全くかけ離れたことが起こる。最たるものはERPパラドックスもしくはシュレディンガーの猫のパラドックスなどの一般に観測問題と呼ばれる問題が起こる。このことは、量子力学のようなミクロスケール(およそ10のマイナス6乗以下のスケールと言われる)で起こるような現象を説明する物理学で発生する問題である。

私なりにシュレディンガーの猫の話を解説してみたい。

シュレディンガーの猫のパラドックスは、簡単に箱を開けるまで猫は生きてるか死んでるか分からないという言い方で説明される。なんだ当たり前じゃないか、という人は常識人である。量子力学の世界では、猫は生きてるか死んでるか観測されるまでは両方の状態が重ね合わさっていると説明している。こうなると常識ではないだろう。

箱の中に猫は居ることは分かっているのである。しかし、その状態が分からない。本当は分からないのではなく、生きてる状態と死んでる状態が重なっている。これがシュレディンガーの猫のパラドックスというものだ。

ん、量子力学はミクロスケールを扱う話じゃなかったの?といった人は偉いと思う。一般に、われわれの生活する単位ではニュートン力学、天文学的なスケールではアインシュタインの相対性理論が適用されるのが現代物理学の常道であり、シュレディンガーの猫のパラドックスは、じつは、ミクロスケールの話がマクロスケールに及ぶという点も大事なのだが、ここでは分かりやすく猫が生きてるか死んでるかの状態が重なっていると説明している。まぁ、なんだ、要するに、あるミクロスケールの量子の観測結果で箱の中の猫ちゃんを殺すようなスイッチがオンになるかオフのままかと言うことが問題となってくるということを端的に示しているとここでは考えてもらうと良いだろう。

さて、結構パラドックスの説明に手間が掛かったが、まず、歴史的背景から説明しておこう。

ニュートンの時代、光は波であると考えられていました。例えば屈折で本来影の部分がやや明るくなるとか回折で明るい部分とくらい部分の縞ができるとか。

ところが、科学が進んで、アインシュタインが特殊相対性理論を提唱する前になってくると、次のようなことが分かってきます。(以下、Wkipediaの特殊相対性理論の項(http://ja.wikipedia.org/wiki/特殊相対性理論)から抜粋しながら引用します)

まず、節「量子力学と特殊相対性理論の関係」から引用しましょう

量子力学と特殊相対性理論の関係 [編集]
詳細は「光量子仮説」、「量子力学」をそれぞれ参照
量子力学や相対性理論の登場する以前の物理学は、ニュートン力学によって物体の運動が、また、マクスウェルの方程式によって電磁波の振る舞いが記述されていた。
量子力学が発展する過程で1905年にアルベルト・アインシュタインは、電磁波に粒子としての性質があることを仮定しなければ光電効果などの物理現象を説明できないことを見出した(光量子仮説)。この光量子仮説は、アーサー・コンプトンが電子によるX線の散乱にコンプトン効果を見出したなど複数の有力な証拠により支持された。これによって光が波(電磁波)としての性質をもちつつ、粒子としての振る舞いをするということが明らかになった。
運動する物体の振る舞いと電磁波の振る舞いが本質的に同じものであるということが示唆される一方で、それらがニュートン力学やマクスウェルの方程式では記述できないことという矛盾は、ド・ブロイによって物質波の概念が与えられ、実験的に支持されるようになると一層顕著になった。

(引用終わり)

つまり、光を含めた電磁波は粒子の性質があるということがアインシュタインによって唱えられそれが様々な観測によって立証されたわけですね。

これを解決するために唱えられたのが、アインシュタインによる相対性理論な訳です。つまり、一般的な物体の動きを説明する古典力学と古典電磁波学を統合したのが相対性理論とも言えるわけです。

つまりは、相対性と光速度普遍の原理。ここもWikipediaから引用しましょう。

相対性原理の導入 [編集]
当時、エーテルという仮想の物質が空間に充満しており、電磁波はエーテルを媒体にして空間を伝播すると考えられていた。しかし、エーテルに対する地球の相対速度を検出すべく1881年に行われたマイケルソン・モーリーの実験では、そのような相対速度は検出されなかった。この結果は、地球が宇宙に対して絶対的に静止しているか、そもそも絶対静止空間という考え自体が間違っていることを意味していた。このような背景のもと、アインシュタインは、次の二つの仮定(公理)のみをもとに思考実験をするとどのような結論が得られるかをまとめた。
1. 力学法則はどの慣性系においても同じ形で成立する(相対性原理)。
2. 真空中の光の速さは光源の運動状態に無関係に一定である(光速不変の原理)。
これらの仮定を満たすためには、それまで暗黙のうちに一様で変化しないとみなされていた空間と時間を変えるという方法を用いる。

これが相対性理論の骨子です。

さて、問題のシュレディンガーの猫のパラドックス量子力学の話でしたね。アインシュタインは光電効果の説明でノーベル賞をもらい量子力学の基礎を開いた人ですが、後の量子力学には大変に強い不満をもらしています。(ちなみに、アインシュタインは相対性理論ではノーベル賞をもらっていないというところが面白いところです)

それは、量子の状態が確率的にしか求まらないと言うことからです。

では、いよいよ量子力学の不思議について徐々に説明していきましょう。

先ほども述べましたが、光には、波の性質と粒子の性質があります。粒子の性質と言いましてもだいたい粒子ってというところから始まってねぇ、そこがそもそもややこしいところです。

量子力学ででてくるスケールでの単位があります。プランク定数と呼ばれるものです。例えば電磁波のエネルギーを示す式に

E=hν

という式があります。エネルギーはh(プランク乗数)かけるν(振動数=周波数の逆数)という式で表せるということです。

この式を見てもらうと分かるように、電磁波のエネルギーはプランク定数の何倍になっているかで表せます。つまり、プランク定数は量子のエネルギーの基本的な単位となり、また、電磁波のエネルギーはプランク定数ごとの飛び飛びの値しか取らないということが分かります。

つまり、光のような波と粒子の性質を持つものはエネルギーがプランク定数単位で飛び飛びの値しか持ち得ないということも意味しています。お金なら一円単位ですよね。量子のエネルギーでその一円に相当するのがプランク定数と考えて下さい。
(じつは、このようにエネルギーがプランク定数単位で飛び飛びの値しか取らないということが量子の名前の由来なんですけどね)

さて、光が量子であるということは分かりました。ところが、この結果から、ド・ブロイという人が全ての物質も波の性質を持つことを言い出しました。このことは後に証明され、全ての物質は波であり粒子であるということが分かってきたのです。(Wikipedia、ド・ブロイ波参照(http://ja.wikipedia.org/wiki/ド・ブロイ波)

ところで、量子はあまりに小さいので観測すると観測自体が量子に影響を及ぼし、その運動量と位置を同時に正確に把握することができないという、量子の不確定性原理というものがハイゼンベルクによって提唱されるようになりました。(Wikipedia、不確定性原理(http://ja.wikipedia.org/wiki/不確定性原理)の項参照)


この原理は、その後、量子の基本的な波の性質記述する波動方程式(Wikipedia、波動方程式(http://ja.wikipedia.org/wiki/波動方程式))が確立することによりその解釈を巡っての話に吸収されます。

さて、この波動方程式が意味するところは、量子の位置は確率的にしか求まらない。ということ。そして、観測するまではその位置は確定しない。ということを意味していたのでさあ大変、大論争が起こりました。しかし、実験の結果、やっぱりのこの波動方程式は正しいと言うことになったわけです。

これが、先ほどのシュレディンガーの猫のパラドックスにつながってくるんですね。つまり、観測されるまで猫が生きてるか死んでるかというのは、重なり合わさった状態だということです。

実はですね、この観測された時に波動関数が収縮して位置が決まるという考え方は、波動関数のコペンハーゲン解釈といいます。

かの有名な、ホーキング博士は多世界解釈という考え方にたたれているそうです。多世界解釈というのは、量子はたくさんの波の重なり合わせの一番強い部分であり、その位置はわれわれが観測する時に確率的に決まっているように見えるが、全ての取りうる可能性の一つを観測しているに過ぎず、他の可能な事象を取る世界はまた別に存在するという解釈です。

かくも不思議な解釈が成立するのが量子力学(特に波動関数)の世界であり、他にもいろいろな解釈があるようですが特に代表的な解釈を示しました。

しかし、こうなると、哲学の存在論も何もあったもんじゃないような世界となります。物質が波であり粒子だなどといわれてもわれわれの経験的認識にとってはごく特殊な世界ですよね。

だから、われわれはその辺りについては、ニュートン力学で説明する範囲で哲学的経験論、認識論というものを考えるということがまず重要になってくる、私はそう思います。

もちろん、この辺りを統合しようとされている方もいらっしゃいまして、それが、たとえば、イギリスのペンローズ先生がやっておられる、ツイスター理論や量子脳理論などにつながってくるわけです。(Wikipedia、ロジャー・ペンローズ(http://ja.wikipedia.org/wiki/ロジャー・ペンローズ)の項参照)


ペンローズ先生の理論は私が支持しているベルクソン哲学とは大変違う考え方ではあるようですが、また大変に尊敬している方の一人でもあります)

2011年7月5日火曜日

宗教について

私は、どんな伝統的宗教を否定するつもりもありません。しかし、新興宗教の教祖様になるつもりもありません。絶対にないです。

私が興味があるのは、哲学であり、そこでは、形而上という、形のあるものより上という意味ですが、それを考えることはしばしばあります。それは、しばしば形而上学とも言います。

ベルクソンの『創造的進化」の第四章では、無という概念を批判し、それを用いることで、旧来の哲学がさまざまな問題を持つことを論証しています。そこでも、形而上の存在についてはしばしば考えられています。また、同じく「創造的進化」ベルクソンは本能、生命のバネなどのことばで、それら形而上の存在を立証しようとしています

しかし、一方で、信仰が時に人に信じられないくらいの力をもたらすことには興味を持っています。

私がしばしば例に用いるのは、シベリア抑留の極限状態において観音経を唱えながら壁に観音様を彫ってしのいだ兵隊さんの例です。

やっぱりそういう不思議はあると思いますが、それは私は、生命のバネで説明できるのではないかと考えています。


しかしながら、そのような力を発揮するのには信仰を持つということが前提なので、そこが難しいと思います。信仰ということ自体には、やはり、なんらかの働きがあるのではないか?ということから始まって、とくに、われわれ日本人にとって西洋文明と付き合っていく場合に、キリスト教というものに関してあるいは、ユダヤ教やイスラム教でも良いのですが、一神教という、大変に理解するのに難しい問題も背景に有るわけです。その辺については、この先少しずつ考えていくことになるのでは、考えています。まぁ、まだまだ、先の話ですけどね

2011年6月27日月曜日

経済状態について

いま、まだ病み上がりと言うこともあって、親の老後の貯金をがじがじとすねかじりしているようなとてもみっともない状況です。本当に来年の4月までに職が決まらないとまずいんですよ。そこが現在もっとも憂慮している点。

2011年6月22日水曜日

ベルクソン 「物質と時間」メモ 更新停止のお知らせ

どうにも体調が優れなく、吐き気が止まらない集中できないなどということもあり、しばらくの間ベルクソン 「物質と時間」メモ の更新を停止させて頂きたいと思います。原因は、様々だと思います。ただ、どうにもストレスを受ける機会とその度合いがこれまで以上と言わざるを得ない状況ですので、このままでまた鬱がぶり返してしまうということを心配しております。

また、ベルクソンのほかの著作と同時にこのメモを書くということは非常に負荷が高く、また、ほかの著作を一通り読んでしまってからの方が、解説もより書きよいのではないか、特に、『意識に直接与えられたものについての試論』は読むべきではないかかと思っているのも、それぞれ理由の一つです。

そもそも論を申し上げますと、タイトルからしてご理解頂けるように、そもそもは、読書メモでありました。それが様々な良くいうならば叱咤激励のおかげで解説をするようになり、それが当然のごとくなって今に至っております。そういうわけで、現在の著述の形式は私が望んでいるものでは必ずしもないということも、申し添えておかなければなりません。


以上のようなわけで、多大なストレスにより最近著しく体調を崩しておりますので、読者各位には大変ご迷惑をおかけすることになりますが、なにとぞご理解頂きますようお願いいたします。

2011年5月26日木曜日

原子力安全委員会とは一体何なのか

福島第一原発事故の情報があまりにも嘘まみれであることが事故発生から2ヶ月半、IAEAの査察が来ると漸くいろいろ分かってきたということから、政府や東京電力に対する強い不信感を持つなか、言った言わないの責任逃れの水掛け論で国民をあきれさせている、官邸と原子力安全委員会・班目氏。

その中でも、あまりに、班目氏という人の言動が不思議に見えることから、原子力安全委員会というものをすこし調べてみようという気になりました。

まず、私のような素人にわかりにくいのは、原子力安全・保安院との区別ですね。Wikipediaによりますと、

・原子力安全・保安院(ソース:Wikipedia、http://ja.wikipedia.org/wiki/原子力安全・保安院)は、
  • 経済産業省の一機関であり、法令上の位置付けは「資源エネルギー庁の特別の機関」とされる(「概要」から引用)
  • 本院は「原子力安全」と「産業保安」とが主な所掌事務で、決して原子力関係のみを専門としている組織ではない。(「任務」より引用)

となり、私なりにまとめると、東京電力のような電力会社の監督省庁である経済産業省・資源エネルギー庁の「特別の機関」であり、「原子力安全」がその大きな任務の一つと言うことになるでしょうか。

一方、注目の人班目氏の原子力安全委員会、
・原子力安全委員会(ソース:Wikipedia、http://ja.wikipedia.org/wiki/原子力安全委員会)
  • 原子力安全委員会(げんしりょくあんぜんいいんかい)は、日本の行政機関のひとつで内閣府の審議会等のひとつ。(最初の説明より引用)
  • 原子力安全委員会の職務は原子力の研究、開発および利用に関する事項のうち、安全の確保に関する事項について企画し、審議し、および決定することである。(「概要」より引用)
  • 具体的な職務の一つに、「原子力緊急事態宣言の技術的事項について原子力災害対策本部長に助言すること」というのが同じく「概要」にあります。


つまり、原子力安全委員会というのは、元々学者さんの集まりである、「内閣府の審議会等のひとつ」という位置づけですね。それで、今回の東京電力福島第一原発の事故のようなことが起こると、「原子力災害対策本部長」に「技術的事項」を「助言する」と言うことになるわけでしょうね。

では、この、「原子力災害対策本部長」とは一体誰なのか、というと、原子力安全・保安院のWebサイトから引用すると

引用始まり---------

原子力災害対策本部

0333

原子力災害時に臨時に内閣府に設置される本部。原災法第15条 により、内閣総理大臣が原子力緊急事態宣言 をしたときは、当該原子力緊急事態 に係る緊急事態応急対策 を総合的見地から迅速、的確かつ効果的に推進するため、閣議にかけて、臨時に内閣府に必ず設置される。内閣総理大臣が本部長を務める。
  
---------引用終わり

とあり、つまりは、総理大臣になるわけです。

だったら、言っただろうし、聞いただろう、と思うのが普通でしょう。

要するに、首相と、班目氏の責任のなすりつけ合いで、班目氏が
「ゼロではない」は『ほとんどゼロということ」、
実際に海水注入は続けられていた、
「私はなんだったのか」
という発言につながるというわけですね。

しかし、どうしようもないな、この国の上の人たちは。結局現場の判断で助かったということでしょう。これで、万が一再臨界が起きていても、菅総理はもちろん班目氏も言い逃れていたことでしょう。そのようなことが分かっているから、現場は独自の判断をする。なんだったのかではなく、なんなんですか、あなた方は、ということです。

ちなみに、先ほどのWikipediaの原子力安全に委員会の記事にこういうのがあったので引用しておきましょう。

  • 「原発は構造上爆発しません」−水素爆発により複数の建物の外壁が飛び散る
  • 「復旧作業員の造血幹細胞の事前採取は不要と判断」
  • 「汚染水処理への対応−班目春樹委員長は福島第一原子力発電所の建屋に溜まった高放射線量の汚染水処理について、「知識を持ち合わせていないので、東電(東京電力)と原子力安全・保安院にしっかりと指導をしていただきたい」と発言し、批判をあびた」
  • 「放射能予測システム遅い情報開示に批判 」
  • 「事故から1か月以上経過しての視察 
     本来、原子力安全委員会は専門的知識を持つ調査委員が現地で「情報の収集・分析」を行うべき組織であるが、4月19日に委員が初めて東京電力福島第一原子力発電所の視察を行った。現場入りまで1ヶ月以上を要したことについて、視察した小山田委員は、「当初は、現場が次から次へと事象が変化するのに対応することで手いっぱいだった」と釈明し、「ずっと助言活動に対応していた」などと語った。[18] (JOCウラン加工工場臨界事故では発生の約半月後に総勢19名の事故調査委員会で現地調査を行っている)[19]」

とあります。現場から信用されないのも当然ですね。というより、原子力安全委員会は全くの役立たずと言って良いぐらいです。

Wikipediaの班目春樹氏の項目(http://ja.wikipedia.org/wiki/班目春樹)における、今回の原発事故の対応の部分を全文引用して終わりたいと思います。

引用はじめ---------

福島第一原子力発電所事故対応

  • 2011年3月11日に発生した福島第一原子力発電所事故で、事故発生から12日間にわたり取材を拒否し続けた。その理由を「官邸や文部科学省へ伝えれば良いと考えていた」[3]と語り、市民へ情報を伝えることを委員長の役目と考えていなかったことを明かした。
  • 3月12日午前6時すぎ、菅直人首相は陸自ヘリで官邸屋上を飛び立ち、被災地と東京電力福島第1原発の視察に向かったが、機内の隣にいたのが班目だった。原発の安全性をチェックする機関の最高責任者として「総理、原発は大丈夫なんです。(原子炉は)構造上爆発しません」と述べた。[4]その日の午後3時半過ぎ、建屋で水素爆発が起きた。
  • 3月22日の参議院予算委員会で、2007年2月の浜岡原発運転差し止め訴訟の静岡地裁での証人尋問で、非常用ディーゼル発電機や制御棒など重要機器が複数同時に機能喪失することまで想定していない理由を社民党の福島瑞穂に問われ、「そのような事態は想定していない。そのような想定をしたのでは原発はつくれないから、どこかで割り切らなければ原子炉の設計ができなくなる」と回答した。
  • 3月28日の記者会見では、高放射線量の汚染水への対応について質問された際に、「(汚染水への対応実施については)安全委はそれだけの知識を持ち合わせていない[5]」などと、原子力安全委員会の見識と存在意義について疑問を抱かせる発言を行った。
  • 4月27日の衆議院決算行政監視委員会において、政府の防災基本計画では原子力災害発生時に「緊急事態応急対策調査委員」らを現地に派遣すると定めているが、3月11日の地震発生直後に派遣したのは事務局の職員1人だけだったこと、また安全委員会が福島市の現地対策本部に専門家2人を派遣したのは4月17日となったことについて、委員会議員から質問があった。これに対して班目は、原子力安全専門家の現地派遣が遅れたことを認め、「これは本当に失敗だったと反省しております」と述べた[6]。

---------引用終わり

2011年5月11日水曜日

PS3のハッキング問題についての小考

ソニーの顧客情報流出問題の根は、PS3のハッキング問題に端を発していると言われている。

それについては否定できない側面があるだろうが、そもそもクラッカーという人種は、そうやって個人情報を引き出して企業を困らせたり、あるいはその情報を売買したり、そのようなことを目的としているのであって、全く関係ないとは言えないだろうけれども、動機として精神を高揚させるものの一つに過ぎないだろう、と私は推測する。もちろん、東京電力の社員寮にいたずらをするような輩と同じ動機というのも必ずしも否定はできないだろうが。しかし、実際のところは分からない。あくまで個人的な推測、というより希望に近いかもしれない。

ところで、ソニーをはじめゲーム機メーカーがゲーム機をあくまでプロプライエタリ(と言って良いかどうかむずかしいが、とにかく閉ざされた)ハードウエアシステムにしておきたいのは、ゲーム機の普及のために、ゲーム機本体は赤字でも良いから安価で提供しておき、プロプライエタリなソフトウエアで利益を上げようというビジネスモデルであるからであって、ここをオープンにすることは、非常に困難であると言わざるを得ない。

ハッカーは何を考えてPS3をハックする(した)のか。名誉のため(あくまでコミュニティーの中だけの話であろうが)と言うこともあるだろうが、大きく分けて二つの動機があると思われる。それは、一つ目にそれが、閉じたシステムであるならこじ開けたいという欲求。そこに山があるからと言った登山家と同じ動機と言っても良いかもしれない。二つ目は、PS3を自由に使いたいという願望。自分のものだから、どうして自分の好きなように使えないんだ。という不満も含まれているかもしれない。

しかし、あくまでビジネスとして行っているソニーはこのビジネスモデルを死守する必要がある。ゲームビジネスの根幹に関わる問題であるからだ。

ソニー側ができる対応として候補を挙げれば、すぐに思いつくのは残念ながら一つしかない。CELL.B.Eを載せたLINUXパソコンを販売することだ。しかし、これは売れるだろうか。その意味では可能性としてはほとんど無いと言って良いかもしれない。ソニーはできる限りオープンでありたいと願っていると思うが、私企業である以上、その活動はどうしても利益を生むものでなければならない。PS3と交換でということで安価で売るなどの可能性はあるかもしれないが、持っているゲームソフトウエアが動かないのは嫌と言われれば、それまでだろう。PS3を買えば、そのPS3と交換の形でレンタルするというのはあるかもしれない。10万円ほどで販売と、PS3を持っている人はそれと交換の形で、無償レンタル。これがソニーにできる精一杯の譲歩かもしれない。

2011年5月4日水曜日

Novikoffの定理の証明まで記事を書き終えました:パーセプトロンのブログ

ようやくですが、Novikoffの定理(収束定理)の証明までブログ「パーセプトロンが線型分離可能であることについて」の記事を書き終えました。三日連続で記事を挙げるのは結構大変でした。計画したときより実際に書いてみると、分量が増えてしまって、計画性のないやり方になってしまいすこし反省しています。

あすは、以前発表したパーセプトロンの学習プログラム(Java版)をNovikoffの定理に基づいたかたちの学習プログラムに変更したものを発表説明させて頂くつもりです。