2026年7月1日水曜日

作品は褒められたい

 何かを創り出している人なら誰もがそう思うことであろうがやはり、自分の作品は褒めていただいたらうれしい。

では、有名になりたいか、と思うことならばそうまでなりたくもない、私は。

なぜこんなことをわざわざ言うかというと、混同されている人がいらっしゃるようであるからであり、現状でそこそこ十分だと思っているので、そこの所を誤解していただきたくないのだ。

2026年3月14日土曜日

E資格に合格しました

 今さらですがJDLAのE資格に合格しました

ロートルながら頑張った、というだけのお話です

2025年12月31日水曜日

今年も一年間ありがとうございました

 今年は、本当にいろいろなことがありました。

最大の出来事は、右目の視力がほとんどなくなったことでしょうか。

来年早々、免許を自主返納し、車も売るつもりなのでいろいろ大変です。

それでも、なんとか生きているわけで、本当におかげさまだと思います。


そんな年でありましたが、今年も大晦日の夜は、年に一回だけ自主的にお酒を飲む楽しい日でもあります。今日は小林秀雄さんの「ランボーIII」を読みながらお湯割りをちびりちびりと味わいます。「ランボーIII」は、今年の後半、池田雅延先生の講義でも取り上げられましたので、それも思い起こしながら読んでいます。

千里眼でなければならぬ、千里眼にならなければならぬ、と僕は言うのだ。詩人は、あらゆる感覚の、長い、限りない、合理的な乱用によって千里眼になる。

とはランボーの言葉だが、行き着くところまで行き着いた人には一体何が見えるのか。

小林さんの「ランボーI」の冒頭には「この孛星が、不思議な人間厭嫌の光を放ってフランス文学の大空を掠めたのは、一八七〇年より七三年まで、十六歳で、既に天才の表現を獲得してから、十九歳で、自らその美神を絞殺するに至るまで、僅かに三年の期間である。」と書かれている。それから彼は、放浪し、傭兵になり、アフリカで貿易商となり、足の腫瘍が元で死ぬ。享年三十七歳。

なんと言えばいいのだろう。ただ、その作品に、あるいは小林さんの著作に没入することしか、後の我々にはできないように思える。



読書に戻る時が来たようです。

皆様も、どうぞ良いお年をお迎えください。


2024年12月8日日曜日

新しいblog 開設のお知らせ

  この度、と言っても半年ほど前になりますが新しいblog「ベルクソンと小林秀雄『二源泉』と『本居宣長』への旅」しました。本当にポツポツと書いています。良かったら見ていただきますと 大変嬉しいです。どうぞ宜しくお願いします。


2015年4月2日木曜日

坂口安吾「教祖の文学 ー小林秀雄論ー」を読んで

最近、青空文庫にて坂口安吾の『教祖の文学 ー小林秀雄論ー』を読んでいろいろ考えたので、メモ書きでも残そうと思う次第です。 坂口安語の文章は、見方にもよるだろうが、脱構築的であり、あるいはハイデガーの指摘するような「そこに投げ出された人間」と言う立場から小林秀雄さんの思想を批判しているのだが、非常に穿っているので、ここで一部であるが引用したい。 「だから教祖の流儀には型、つまり公式とか約束といふものが必要で、死んだ奴とか歴史はもう足をすべらすことがないので型の中で料理ができるけれども、生きてる奴はいつ約束を破るか見当がつかないので、かういふ奴は鑑賞に堪へん。歴史の必然などといふ妖怪じみた調味料をあみだして、料理の腕をふるふ。生きてる奴の料理はいやだ、あんなものは煮ても焼いてもダメ、鑑賞に堪へん。調味料がきかない。  あまり自分勝手だよ、教祖の料理は。おまけにケッタイで、類のないやうな味だけれども、然し料理の根本は保守的であり、型、公式、常識そのものなのだ。  生きてる人間といふものは、(実は死んだ人間でも、だから、つまり)人間といふものは、自分でも何をしでかすか分らない、自分とは何物だか、それもてんで知りやしない、人間はせつないものだ、然し、ともかく生きようとする、何とか手探りででも何かましな物を探し縋りついて生きようといふ、せつぱつまれば全く何をやらかすか、自分ながらたよりない。疑りもする、信じもする、信じようとし思ひこまうとし、体当り、遁走、まつたく悪戦苦闘である。こんなにして、なぜ生きるんだ。文学とか哲学とか宗教とか、諸々の思想といふものがそこから生れて育つてきたのだ。それはすべて生きるためのものなのだ。生きることにはあらゆる矛盾があり、不可決、不可解、てんで先が知れないからの悪戦苦闘の武器だかオモチャだか、ともかくそこでフリ廻さずにゐられなくなつた棒キレみたいなものの一つが文学だ。」 小林秀雄の思想は「型」を重視する。無学な私もすこし勉強してみれば『本居宣長』も型だけであることを知る。しかし、そこに小林秀雄さんの独創がないかというとそれは違う。描かれた本居宣長と言う人物はいかにも独創的であるし、また、思想においても「型」を破って独自の境地に達している。私はまだまだ勉強不足であるが、そのことはいつかまた、『本居宣長』についての解説を書く機会があれば表現してみたい点でもある。(書く機会があればであるが。) 一方で、現代において、坂口安吾のようないわゆる豪傑タイプの文人が途絶えたのはなぜか、という点からもいつか考察してみたいものである。 しかし、面白いのは、小林秀雄さんを批判する坂口安語の側もまた、脱構築的実存主義的な視点、言い方を変えれば、型のないのが型だというような見方から批判しているところが興味深い。つまり、小説も思想もやはり型あってこそのものだということを坂口安吾は十二分に承知していたのではないだろうか。その点を小林秀雄さんに投影しつつ、どうあるべきかを模索し、もがき苦しむという点において、このような批判をしながら独自性を確立していこうとしたというようにも見える、というのが私のこの文章を読んでの感想である

2014年7月27日日曜日

小林秀雄の『徒然草』にある謎掛けについて

どうしてもこの人には及ばないな、思う人が居て、私は小林秀雄という人がその人に当たる。

日本文学が濃厚たる禅の思想に基づいており、かつその思想自体の存在すら消そうとしてきたことはすでに周知だと思うのだが、私はこの時代においてあえて、その痕跡を白日の下にさらすことを敢えてやってきた。

因みに小林さんのお墓は、北鎌倉の東慶寺にある。東慶寺は元々は格式の高い縁切寺としても有名なところであったが、明治期の混乱で臨済宗円覚寺の末寺となった。大変良い場所らしく、鈴木大拙をはじめ有名人のお墓も多いようだ。だから、お墓の場所と禅宗との関連は良くは分からない。関連がないと言えないという程度なのかもしれない。

死ぬまでにお墓参りを済ませたいと思っている。だいたいが油断したために、スッカラカンになりこの有様であるから、情けない限りだ。先ずは、小林さんのお墓参りを済ませておくべきだった。療養を優先したことが間違いだった、というのが、ここ数年来の苦い後悔である。ベルクソンさんのお墓は遠すぎて一生行けないだろうから、せめて、今年は無理でも来年、仕事の閑散期には行けるようにしないといけないと思っている。

どうでも良い話しばかりしてしまったが、小林さんには、禅の公案のような問いかけがいくつかある。たとえば、ソクラテスのデモンは、どうしてソクラテスの行動に禁止しか指示しなかったのか、という指摘などである。

もう一つ有名なものが、その評論「徒然草」にある。兼好法師の筆法をモンティニュになぞらえ、また、

『 あの正確な鋭利な文体は稀有のものだ。一見そうは見えないのは、彼が名工だからである。「よき細工は、少し鈍き刀を使ふ、といふ。妙観が刀は、いたく立たず」、彼は利き過ぎる腕と鈍い刀の必要とを痛感している自分の事を言っているのである。物が見え過ぎる眼を如何に御したらいいか、これが「徒然草」の文体の精髄である。』

(※ 引用文中の「」と区別が付きやすいように引用文には『』を用いている。以下同様)

と評価する。そして、最後にこのように終わる。

『鈍刀を使って彫られた名作のほんの一例を引いて置こう。これは全文である。「因幡の国に、何の入道とかやいふ者の娘容美しと聞きて、人数多言ひわたりけれども、この娘、唯栗をのみ食ひて、更に米の類を食はざりければ、斯る異様の者、人に見ゆべきにあらずとて、親、許さざりけり」(第四十段) これは珍談ではない。徒然なる心がどんなに沢山な事を感じ、どんなに沢山な事を言わずに我慢したか。』

上記の引用文中にある、兼好法師の徒然草本文(第四十段)の意味は、

「因幡の国(現在の鳥取県に含まれる)に、何とかの入道という人の娘が大変美しいということを聞いて、求婚者が数多やってきたけれども、この娘、栗だけを食べて、米の類を食べない。このような異様な人間は、他人様に嫁がせるわけには行かないと言って、親は結婚を許さなかった」

と言うことになるだろう。

因みに、徒然草には、このような少し不思議なお話が他にもあって、たとえば、大根を万病の薬であると信じて毎朝二本焼いて食べていた人の家が警備の者の留守に敵に襲われたときに、屋敷のなから見知らぬ兵士が二人出てきて家の危機を救った。礼を言ってどなたか訪ねたら、日頃あなたが信じて食べている大根ですとだけ答えて去った、というお話(第六十八段)も載っている。

さて、栗娘の話に戻るが、これは一つの禅で言う公案であろうと思ったとき、それぞれに解き方が出てくるだろう。兼好法師も小林秀雄さんも黙って死んだのだから、黙って死ぬべきか。

そうも思ったが、凡愚きわまりない私が多少のことをしゃべったところで、中るとも限らず、中っていれば、後世多少の名誉でも残るかという欲もあって、くだらないおしゃべりをしてみようと思う。

小林さんは、この分が鈍刀を持って彫られたと言っている。と言うことは、我々がまず目が引かれる、娘が栗しか食べなかった、というところは、レトリックの部分であり、主要でないとみる。大事なのは、そのあとで、「斯る異様の者、人に見ゆべきにあらずとて、親、許さざりけり」というところであろう。こんな異様の者が結婚して幸せになれるわけがない、という親心が大事だと言っているのだろう、ということが分からなくてはならないと小林さんは言っているのだ、と私は考える。そうするとこの小林秀雄さんの評論「徒然草」の内容は一続きに通じる。私はそう思うのである。








2014年7月14日月曜日

ノーム・チョムスキー「複雑化する世界、単純化する欲望」を読んで

チョムスキー()は高名な言語学者であり、また、近年はその世界的なリベラル知識人としての名声もようやく日本でも知られるようになってきた。

私も今回初めて、言語学関係でないチョムスキーの本を読んだのであるが、インタビュー形式であるということ、豊富な注釈とによって、多岐にわたる複雑な社会問題において論じたものとしては、かなり読みやすいものであった。地球環境と経済的活動が相反することやアメリカ政府の支出が経済活動に大きな役割を果たしているという点、すなわち、経済的な欲望がもたらす側面とそれに対する合衆国政府の影響力の大きさを指摘し、第二次世界大戦以降、長らく国際的に支配的な地位を占めてきたアメリカの行動、たとえば、環境問題ほか、国際情勢、特にイラン核燃料問題とアメリカの大学の果たした役割や戦争、核の脅威、宗教問題、中国の台頭に対する軍事的措置などの様々な社会問題に、長く勤めるMIT教授としての大学人としての視点から、アメリカ社会の抱える矛盾を示しながら鋭く切り込んでいく。

過去、日本でスキャンダラスなほど過激に伝えられたリベラルとしての主張の印象は、その主張がすでに消化されたものであるからか、さほど強い印象はもたらさず、この本のもう一つの特徴である、後半ほとんど占める補遺による資料提供は、その内容をより正確に伝えようとしており、そこにも強い印象を持った。

(※ のリンク先はWikipedia、「ノーム・チョムスキー」の項を参照しています)