2012年12月13日木曜日

ベルクソン 「物質と記憶」メモ 第四章第五節分での重要な誤りがありました の で、先行公開いたします。

現在、第四章第五節分にて、重要な誤りがありましたので、こちらの訂正箇所を先に公開したいと思います。

なぜこのような誤りが生じたかについては、一つは、やりたくもないことを無理やりやらされていたという状況、つまり、鬱状態にていじめの状態が続いている状況下において、むりやり、第四章が重要だということでやらされていたために、この辺りの確認がおろそかになっていた、ということをあげたいと思います。個人的には、第一章をもう一度確認してから、いうことを申し上げていたと思いますが、許される状況になかった、ということです。それで、勝手にのぞかれた上に再び陰湿ながらせをしやがって、という今の現状には怒りを禁じ得ません。次に同じことがあれば、我慢の限界です。哲学に関してはやっている人間はくずだとみなし、一生思想、哲学に関しては軽蔑し続け一切なにもしないと誓います。

以上、いろいろ言いたいこと、御非難もあるでしょうが、謝る気は一切ないと言わせていただきたいと思います。はっきりいうぞ、いじめばかりして搾取して当然とおもっているくそばかども、散った自分でもテキストを読め、くずが。お前らのようなバカはしんでしまった方が世界平和のためだろう。二回の大戦がなぜ起こったんだよ、そんなにえらそうなら。本当に役立たずのプライドだけは高え、クズども、滅びればいい。

言いたいことは以上。

この後、視覚的知覚についてはすでに述べた(第一章第四節『イマージュの選択』(第一章第九節『イマージュ本来の伸張性』の(p.75 12行目-p.76 7行目))が、重要なので繰り返す、と言っている部分を引用して見てみよう。以下、相当長いが、このことが段落の最後まで述べられている。所々に注釈を入れながら見ていこう。

(2012/12/11 「視覚的知覚についてはすでに述べた(第一章第四節『イマージュの選択』、(p.44 13行目-p.46 14行目)が相当すると思われる)」という部分、実際には第一章第九節『イマージュ本来の伸張性』の(p.75 12行目-p.76 7行目)が実際は相当すると思われるので訂正した。読者の皆様には、このような過ちを起こしたことを、こころよりお詫びいたします。なお、参考までに少し長くなるが該当部分、二段落を引用しておきたい。

『われわれは、論述を簡略化するために、われわれがかつて例として選んだ視覚的感官に戻ることにしよう。通常網膜の錐状体と桿状体によって受けられた諸印象に対応する要素的な諸感覚が与えられる。視覚的知覚が再構成されるのは、これらの感覚を用いてである。しかし何よりまず、一つの網膜があるのではなく、二つの網膜がある。それゆえ、相異なるものと想定された二つの感覚が、空間の一点とわれわれが呼ぶものに呼応する唯一の知覚のうちでいかにして融合するかを説明しなければならないだろう。』(p.75 12行目‐17行目)

『この問題が解決されたものと想定しよう。話題となっている諸感覚は非伸張的なものだ。その感覚がいかにして伸張を授かるのか。延長の中に、諸感覚を受ける準備のできた枠組みを見るにせよ、あるいはまた、一緒に融合することなく意識のなかで共存する諸感覚の単なる同時性(simultanéité)の結果を見るにせよ、どちらの場合でも、延長と共に、それについては説明されないような何か新しいものが導入されるだろう。そして、感覚が延長と再び一緒になる過程、それぞれの要素的感覚による空間の決まった点の選択は、説明されないままにとどまるだろう』(p.76 1行目‐7行目)

なお、この章では、特に後半の段落で論じられていることが詳細に論じられていると思われる)

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