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ベルクソン 「物質と記憶」メモ その5 第四章 「知覚と物質、魂と身体」 第四節 「持続と緊張」を公開したが、いくつか、十分に説明ができていないのでは、と考えている部分がある。
それは、特に第七段落で触れられている『真の持続』と芸術の関係である。その点についてここで触れたいと思う。以下、あくまでも個人的な見解であるということをお断りしておく。
解説文では『真の持続』とは可変長なリズムであると述べた。これは、間違いではないが、ベルクソンは、フーリエ変換を念頭においているのではないかという気がしてならない。量子にかんしても波動として見ることに関して正確な知識をベルクソンは持っていたのであるから、当然フーリエ級数展開やフーリエ変換に関しても相当な知識を有していたに違いない。
したがって、知覚が言葉や観念になる前の『知覚』そのままの記憶のある波動の重ね合わせが、ベルクソンのいう『真の持続』であり、象徴的なもの、フーリエ解析でいう固有のスペクトラムをそのまま芸術作品に置き換えて述べているという気がしてならない。
ベルクソンのいうところが正確ならば、絵画のような、あるいは音楽でもいいであろうが、そのような芸術作品にはそれら共通のそのようなスペクトラムのが現れるはずであるが、残念ながら、現在の科学においても、それが解析されたという話は聞かない。しかし、我々に、なんらかの示唆を与え、人間の精神活動の複雑さに一筋の光を与えていることには間違いないだろう。この辺りは、ベルクソンの見方が単純過ぎるのか、それよりは可能性としては低いかもしれないが、それともわれわれの精神活動もっと深いところでは、何かそういうものが現れているのかどうか、もっと研究が必要であると思われる。
(同日 17:17追記)
なお、ここで検討されている『知覚』には単なるわれわれの感覚器官から入ってきている信号だけではなく、感情などの信号も混在していることには注意をしないといけないということを付け加えておきたい
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