2012年2月7日火曜日
二源泉メモその6:正義
ここは、節としても長いので、少し引用も多く交えながらじっくりと取り組もうと思う。
まず、しばらく節の始めを引用しよう。(注:テキストは岩波文庫、「道徳と宗教の二源泉」:ベルクソン著、平山高次訳:第29刷)
「すべての道徳的概念は概念は相互に浸透し合っているが、そのうちで正義(justice)の概念にもまして教示的なものはほかにない。その理由は、第一に、それはほかの道徳的概念の大部分を含んでいるからであり、次に、それは、この上のもないその豊かさにも拘わらず、もっとも単純な用語で言い表されるからであり、最後に、そして特に、この概念のなかで責務の二つの形態の一方が他方のなかにぴったり当てはまるのが見られるからである。正義は平等(égalité)、釣り合い(proportion)、償い(compensation)の観念をいくつも喚起した。「compensation」と「récompense」(報酬)の語源であるpensareという語は、秤る(pener)という意味を持っている。正義は均衡を保っているということで表されてきた。公平(quit)は平等を意味する。régle(基準)とréglement(規定)、rectitude(公正)とrégulartité(規則正しさ)は、直線を示す語である。算術及び幾何学のこうした照合は、正義の歴史の流れを通じて、その特徴である。正義の概念は、物々交換(échanges)に際して、すでに正確に描かれたに違いない。」(節の最初の部分から10行ほど引用)
ここまで引用したが、このあとも含め、正義の起源は等価交換という商業的な意味を持っていたとベルクソンは考察している。
ここから、原始社会に於いての犯罪的行為、特に誰か(テキスト「人<フリガナ:ペルソナ>」)を殺傷した場合に関しても同じように等価交換的な「復讐」が行われていたと説明する。(ただし、神々の怒りを招かないような場合に限られるという条件はついている)しかし、この復讐は二家族間で限りなく行われていくであろうことは、われわれにも容易に想像がつく。以下引用、
「 ―さて、社会全体が厳罰を加えることを引き受け、どんなものであれ、すべて暴力行為を取締る役目を引き受けているとすれば、 ―もし家族ないしは個人が彼らの紛争に結末をつけるためのよりどころとする基準がすでに正義という名でよばれていれば、正義を行使するのは社会である、と言えるだろう。しかも、社会は加害の重さに従って刑罰をきめるだろう。」(p.85 14-17行目)
以下、要約すれば、罰には犯罪の予防効果の役割があることを指摘し、さらに、罪と等価でなければならないであろうという。つまり、目には目を歯には歯をという有名なハンムラビ法典(テキストでは「反座法(loi du talion)」の言葉が引用される。しかし、一般に古代は階級社会でもあったため「質」にも考慮されたであろうということも指摘している。しかしながら、いずれにせよ、その罰は罪に対して等しくあらねばならないであろう。以下引用、
「要するに、平等はある関係をめざし、ある釣り合いとなりうる。それ故、正義は、もっと多種多様な事柄を含んでいてもはやり同じ仕方で定義される。 ―さらにまた、正義の定式は、もっと進んだ文明状態において、為政者と被治者の間の関係にまで、もっと一般的には社会的な諸範疇間の関係にまで、広げられるときも変わりはしないだろう。」(p.86 6-10行目)
以下、釣合いとその数学的な関係にまで言及し、階級制度へと言及していく。その途中には、言葉の魔力、すなわち、動的なものを静止したもの連続と考えてしまうその様な思考の傾向を導き出す言葉というもの自体の性質にも言及される。しかし、ここでは、階級制度と「絶対的な正義」すなわち、これまでの考え方を演繹するならば絶対的な平等と言い換えても良いであろうが、この二つが対立するというのは言葉の一般的な意味から言っても明らかであろうが、そのことに言及される。
この絶対的な平等は絶対神を尊崇するところのユダヤ人達の宗教の繰り返す創造的跳躍によって、得られた。(この辺りの議論については、私個人的には多少異論もあるが、ここでは従っておくことにしたい)しかし、そのことは、随分早くから考えられていたにも関わらず、その様な身分制度のない国家が誕生したのは18世紀に入ってのアメリカの清教徒達の宣言であり、次にフランスの大革命である、とベルクソンは言う。
この部分をもう少し振り返れば、要するに、国民全員が自由で平等である国ができるためには、哲学ではなく、キリスト教という宗教が必要だった。哲学はその一歩を踏み出すことができなかった。その様な反省がここには込められている。以下、テキストから象徴的な部分を引用する。
「権利の平等と人格の不可侵性を含む普遍的同胞愛の思想が活動的になるためには、キリスト教の到来まで待たねばならなかった。ひとは、その作用は全く緩慢だった、というだろう —人間の権利がアメリカの清教徒たちに宣言され、やがてフランス大革命の人々に追求されるまえに、実に十八の世紀が流れた。それにしても、そうした思想はやはり福音の教えとともに始まって限りなく存続するに至った —感嘆に値する賢者達によって人々にただ提示されただけの理想と、愛の使命を帯びて世界の中に放たれ、愛を呼び起こした理想とは別物である。」(p.95 6-10行目)
「愛の使命を帯びて世界の中に放たれ、愛を呼び起こした理想とは別物である。」とは端的に言えば布教活動であった。人々の魂に、不可能(ここでは階級社会の打破、あるいは、万民の平等性の追求)を可能するという飛躍をもたらしたのは、その様なひとつの方向が提示され、1つの方法がもたらされていたことによる結果である、と言う。しかし、それは、われわれが古いものが新しいものに含まれると考えがちなその様なことではなかった。その様なことは、われわれが始点と終点を知っており、その中の経路を無限小の大きさの点の集まりと考えがちなことによるというのは、言葉の魔法のところですでに言及されている。以下、解説したところも含めて上記引用文の続きをの引用(引用は長いが、わかりやすさと、引用文後半部分は分けて解説することが困難なことを考慮したため)。
「実を言えば、後者にあっては、完全に格率<テキスト振り仮名、マキシム:格言、箴言のこと>として定式化されうるような一定の知恵は、もはや問題ではなかった。むしろ、ひとつの方向が指示され、ひとつの方法がもたらせていたのである。たかだかのところ、ただ暫定的なものでしかない、従って絶えず更新される、努力を必要とする一つの目的が指示されていただけである。しかも、そうした努力は少なくともあるひとびとにおいては、必ずやひとつの創造的努力でなければならなかった。その方法は、所与の社会においては実際には不可能である物を可能だと仮定し、このことから社会的な魂にとって結果するものを思い浮かべ、それから布教と手本によって、魂の中にそうした状態をひき起こすことにあった。結果がいったん得られると、それはその原因を遡及的に捕捉するだろう。新しい、しかも消えかかった感情が、そうした感情の出現に必要だと思われるような、そして、その時そうした感情を強化するのに役立つような、新しい立法を喚起するだろう。近代的な正義観念は、成功した一連の個人的創造を介して、同じ飛躍<テキスト振り仮名、エラン>で生気づけられた幾多の努力を介して、このようにして進歩したのである。 —古典古代は布教を知っていなかった。その正義はオリュンポスの神々の明晰な無感覚さをもっていた。弘布の要求、伝導への熱心さ、飛躍<テキスト振り仮名、エラン>、運動、すべてこうしたものはユダヤ=キリスト教的起源のものである。しかし、同一語が使用され続けていたために、同じものを扱っているのだと、あまりにも信じられすぎた。次のことは、どんなに繰り返しても、繰り返しすぎることにはなるまい —すなわち、個人的で偶然的な継起的諸創造は、もしそのひとつひとつが次の創造を誘発した場合には、そして、後から見て、それらの創造が相互連続しているように見えるならば、普通は、同一標題のもとに分類され、同一概念に包摂され、同一名称で呼ばれるだろう。もっと遠くへ進んでみよう。その名称は、このようにして構成された系列の既存の諸項にしか適用されないわけではなく、さらに、未来を予料して、全系列を指すだろう。ひとはその名称を末端に —あるいは無限に、といおうか— 置くだろう。名称はずっと以前からできあがっているので、それが表している、開かれてはいるが、内容の決定されていない概念もまた、それと同じように以前から、太古からさえも、でき上がっている、と想定するだろう。そこで、獲得された進歩のそれぞれは、この先在的本体からそれだけ多数に取り出されたものということになろう。現実は、永遠的正義の全体をすこしずつ体現して、理想をかじってゆく、ということになろう。 —そして、このことは、単に正義の観念に真であるばかりでなく、さらにこの観念と並べられる諸観念 —たとえば平等や自由— に関しても真である。正義の進歩は、自由や平等への歩みである、と好んで定義される。こうした定義は非難されるものでないが、しかし、それから何が引き出されるだろうか。このような定義は、過去にとっては妥当であるが、未来に関するわれわれの選択を方向付け得ることはまれである。例えば、自由を取り上げてみよう。個人は、他人の自由を傷つけないかぎり、どんな自由に対しても権利がある。と通常いわれている。しかし、今日の社会ではあらゆる自由の相互侵害を結果させるような新しい自由の承認が、そうした改革によってその感情や道徳習慣が変えられた社会においては、反対の結果を生み出すかもしれない。そこからして、その同類の自由を何ら侵害すること無しに、どれほどの自由が個人に認められ得るか、をアプリオリに述べることはしばしば不可能である— 量が変われば、もはや質も同じではない。他面、平等は、自由を犠牲にすることなしには、決して獲得されないものであるから、まず最初に、この二者のいずれが望ましいか、を自問せねばならないだろう。しかし、こうした疑問はどんな一般的解答も許さないだろう。なぜならば、これこれの自由の犠牲は、もしそれが市民全体によって自由に同意されるならば、やはり自由に属しているからでである。そして、特に、自余の自由は、平等の方向で遂行された改革が、もっと気楽に住める、もっと多くの喜びが行動に感じられるような、社会をもたらした場合には、より優れた質のものであり得るだろう。いずれにせよ、新しい社会的雰囲気を、よりよい生活が営まれる環境を、つまり、ひとびとが一度その体験をもてば二度ともとの状態に戻りたくないと思うような社会と、心のなかで思い浮かべているような道徳的創造者の概念にいつもたち戻らねばならないだろう。このようにして初めて、道徳的進歩は定義されるだろう。しかし、道徳的進歩は後からでなければ、つまり、ある特異な道徳的天性が新しい音楽にも比すべき新しい感情を創造し、それに彼自身の飛躍<テキスト振り仮名、エラン>を刻印することによって、それを人々に伝えた時にしか定義され得ない。」(p.95 11行目-p.98 3行目)
長い引用文であるがここでは、ユダヤ=キリスト教的起源の布教活動が、数々の「飛躍<エラン>」によって「自由や平等への歩みである」ところの「正義」の「飛躍<エラン>をもたらしてきたということが描かれていたことがわかる。そして、ベルクソンの言説では「正義」の「飛躍<エラン>」はここではすなわち、「道徳」の「飛躍<エラン>」あるいは、「進歩」であることも理解される。
さて、こうした進歩を見ていくとき次のことが改めて強調される。すなわち、
『「自由」、「平等」、「権利の尊重」についてこのように考えてみるなら、われわれの区別してきたの正義観念 —開いた正義と閉じた正義— の間には、単なる程度の差ではなく質の差があることがわかるだろう。なぜならば、比較的に安定した閉じた正義は、自然の手から出てきたばかりの社会の自動的均衡を表すものであるが、「責務の全体」と結びついている諸多の習俗のなかに建言するからである。そして、この「責務の全体」はもう一方の正義 ―継起的な諸創造に開かれている正義― の様々な命令を、それらの命令が世論に受け入れられるにつれて、包含するに至るだろう。』(p.98 4行目-10行目)
この引用の部分が、ここまでのまとめにも相当する。この部分から後、節の終わりまで、哲学者なら、普段は全く混同されているこの「開かれた正義」(テキストでは、「人間的天才から生まれ出た」と表現もされている)と「閉じた正義」を区別すべきであると主張されている。
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