私は、将棋が好きだ。将棋が好きなことが、このくそったれの世の中に対する唯一の救いになっている。
しかし、私も阿呆じゃないのであるから、ただ遊んでいるわけではないということを少し示したい。
本当に将棋指しの先生という人は、将棋が好きで将棋が好きで堪らないのであるから、私のように下手の横好きというようなまったく才能の無いような阿呆な人間にも、いろんな事を教えて下さる。
数学にも、いろいろなテクニックというものがありますよね?例えば、簡単な例を挙げるなら、連立方程式を解こうとすると中学生では、代入法と消去法という二つのやり方を教えます。消去法というのは、比較的洗練されたやり方で、このやり方をやれば、線形(一次方程式)であれば項が幾つあっても条件がそろえば(つまり項の数だけ方程式があれば)方程式を機械的に解けるというやり方ですよね。
将棋のプロというのは、長年の修行で、そういう解法(これを手筋という言い方をされている)を組み合わせて、よりシンプルなやり方で、コンピュータのように力任せなやり方ではなく、よりスマートに問題に当たっておられる。もちろん手筋をたくさん知っているということは、ある場面の手筋が一通りではないということでもあるのであるが、探索木を用いたやり方よりは大変効率的に深く手を読めるというメリットがある。
これは、言語における文章の組み立てによく似ているでしょう?ということがまず一つ。
後は大局観というものですね。これは、本当に経験則で、この形だと終盤でどのような展開になると言うことをプロともなるとよく御存知のようである。これも手筋というものに絡んでくるわけですけど。それで、その前に、定跡と呼ばれる序盤から中盤へ掛けてできるだけ有利に進めるためのある種、われわれの科学で言う「仮説」があるわけですね。
このように将棋を一種の「仮説−検証」過程としてみた場合に、大局観と手筋と呼ばれるものは、われわれの創造性に大変深いつながりがあると思われるわけですよね。そして、たまたま起った偶然のエラーがノーベル賞に繋がるような大発見に繋がったということも、この将棋をやっていく上でのおもしろい現象として説明できます。例えば、羽生マジックとか。
そういうわけで、馬鹿じゃないので黙ってやらせてもらえれば、それなりの成果を上げた上で公開できるものを、どうも人間的に信用がないせいか(ただし、それは私のせいだけではないと確信しているが)こう言うことを黙ってやらせてもらえないので非常に迷惑をしている。
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