2011年8月13日土曜日

少し昔話をしよう

パーセプトロンやP=NP?のブログをやらないことでいろいろいわれるようになった。

ところで、ちょっと前のmixiの日記を見たらこういうことを書いていた。なんでもそうだけど、某とかが私のやることにくちばしを突っ込んでは、要らんことばかり言われていた一つの証拠をお見せしたい。

ちなみに、P=NP問題に関して私なりの解答は考えたのでそれは後ほど公表したい

(以下その日記)

P=NP?問題を考えてみたい理由 2009年05月27日19:11

私は、残念ながらお金にはならなかったが、
動画の超解像技術の元になったアルゴリズムや、
その他、クラスNPと思われる問題の解決に於いて
いくつかのヒューリスティックアルゴリズムを考え出した
実績がある。


また、非線形な問題を考えるときには、ある種の変換を持って
線形な問題として解くともあれば、シミュレーションによって
最適解を得ようとする場合もある。

私の場合、人工知能の研究などでしばしば、
ヒューリスティックアルゴリズムを持って解決するということが多い。

一体、ヒューリスティックアルゴリズムという問題解決方法
一種の知識は、ただの試行錯誤の結果なのか?
そもそも、問題を解決するとはなんなのか?

その根本はどこから来るのか?という意味でP=NP?問題は
大変に興味深い。

非線形がある種の経験論、言い換えれば、経験の知識の組み合わせで
あるかもしれないのに対して、
つまりは、非線形性を線形に置き換えて解くか、
経験というデーターベースによるシミュレーションによって
最適解を探すか、ということに置き換えられる可能性が高いのに対し
NP問題に何らかの解決をもたらそうとする
ヒューリスティックアルゴリズムは経験上全く別種のものである
ということが言える。

それは、ヒューリスティックアルゴリズムは、アルゴリズムというように
何らかのアルゴリズムがあるからである。

精神の一部がヒューリスティックアルゴリズムの集合であるということは
否めない。それは、我々の感性が教育によって共有されることからも判る。

そういうわけで、P=NP?問題は私には非常に興味深い問題なのである。

だから、あまりうるさく言わないように。

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