私が興味があるのは、哲学であり、そこでは、形而上という、形のあるものより上という意味ですが、それを考えることはしばしばあります。それは、しばしば形而上学とも言います。
ベルクソンの『創造的進化」の第四章では、無という概念を批判し、それを用いることで、旧来の哲学がさまざまな問題を持つことを論証しています。そこでも、形而上の存在についてはしばしば考えられています。また、同じく「創造的進化」ベルクソンは本能、生命のバネなどのことばで、それら形而上の存在を立証しようとしています
しかし、一方で、信仰が時に人に信じられないくらいの力をもたらすことには興味を持っています。
私がしばしば例に用いるのは、シベリア抑留の極限状態において観音経を唱えながら壁に観音様を彫ってしのいだ兵隊さんの例です。
やっぱりそういう不思議はあると思いますが、それは私は、生命のバネで説明できるのではないかと考えています。
しかしながら、そのような力を発揮するのには信仰を持つということが前提なので、そこが難しいと思います。信仰ということ自体には、やはり、なんらかの働きがあるのではないか?ということから始まって、とくに、われわれ日本人にとって西洋文明と付き合っていく場合に、キリスト教というものに関してあるいは、ユダヤ教やイスラム教でも良いのですが、一神教という、大変に理解するのに難しい問題も背景に有るわけです。その辺については、この先少しずつ考えていくことになるのでは、考えています。まぁ、まだまだ、先の話ですけどね
0 件のコメント:
コメントを投稿