2014年1月7日火曜日

小林さんの「モーツアルト」より、天才とは努力しうる才だ

「天才とは努力しうる才だ、というゲエテの有名な言葉は、ほとんど理解されていない。努力は凡才でもするからである。然し、努力を要せず成功する場合には努力しまい。彼には、いつもそうあって欲しいのである。天才は、寧ろ努力を発明する。凡才が容易とみる処に、何故、天才は難問を見るというのが屡々(しばしば)起きるのか。詮ずるところ、強い精神は容易なことを嫌うからだという事になろう。自由な創造、ただそんな風に見えるだけだ。制約も障碍(しょうがい)もない処で、精神はどうしてその力を試す機会をつかむか。何処にも困難がなければ、当然進んで困難を発明する必要を覚えるだろう。それが凡才にはかなわぬ。抵抗物のないところに創造という行為はない。これが、芸術に於ける形式の必然性の意味である。あり余る才能も頼むに足らぬ、隅々まで意識され、なんの秘密も困難もなくなってしまった世界であれば―天才には天才でさえ容易に見える時機が到来するかもしれぬ。モオツァルトには非常に早く来た。」
 
小林秀雄 「モーツアルト」より

こんな事を書く人の文章にでてくる言葉を、売れるためになら何しても良いんだ、などという、あまりにも「凡人」的に解釈するなど一笑に付されて然るべきだろう。本居宣長の「ものの哀れ」というものをどれだけ貶めて考えれば良いのか。本居宣長が溢れるほど詰め込んではち切れそうになった「ものの哀れ」という言葉は、小林さんはまた、上記のように解釈して述べているに違いない、と私は思う。「隅々まで意識され、なんの秘密もなくなってしまった世界」において「ものの哀れ」という言葉に何を詰め込んだというのか、という事を反省するならいくら反省しても反省したりない、というところを感得すべきだ。そこが分からないとは何とも情けないと思う。

彼らの芸術に関してもそうだ。「抵抗物のないところに創造はない。これが、芸術に於ける形式の必然性の意味である」という言葉に対して、どれだけ反省があるというのだろう。私にはさっぱり理解できない。神と遊ぶとは一体どういうことなのだろう。ぴいとヒヨドリが鳴いて正気に戻った柳田国男の感性がなければできない相談であると言う事も分からないというのも悲しい話だ。

あまりにもばかばかしい話が世の中に出回っていて、疲れて来た。それは、年を取るというのを齢を重ねるという表現をするようなものではあるまい。一方で馬齢を食うという表現もあるわけである。なんの抵抗も緊張のないところに創造はない。それらのないそこにあるものは、単なるティッシュペーパーにしか過ぎない。

2013年12月5日木曜日

ブログ「P=NP?問題の覚え書き」の目次に相当するページの公開のお知らせ

SNS Google+でも同様の内容でお知らせしておりますが、ブログ「P=NP?の覚え書き」について、これまでの公開記事の内容を簡単にまとめた目次と概要を兼ねたページを作成しましたので、公開いたします。もう少し見やすくしたいとは思っているのですが、利便性を高める必要を常々感じていたため、内容的に十分であれば早めに公開した方がよいと判断しました。 ご意見ご要望などの他、間違いのご指摘なども是非お寄せ頂きますと大変ありがたく思います。どうぞよろしくお願いいたします。

2013年12月4日水曜日

ブログ「P=NP?問題の覚え書き」の記事の内容についての一部修正

ブログ「 P=NP?問題の覚え書き 」の記事「 このブログを再開するに当たってのこれからの進め方 」の内容において、一部大きな過ちがありました。お詫びして訂正いたします。


誤)「 3.モノトーン(否定のリテラルがない論理式)のサーキットがクラスNPである事を証明する」

正)「 3.モノトーン(否定のリテラルがない論理式)のサーキットが多項式時間以内で解けない問題である事を証明する」


また、他にこのあとの、上記のを説明した部分も併せて修正しております。読者のみなさまには大変なご迷惑をおかけし、まことに申し訳ありませんでした。

2013年12月1日日曜日

限定公開中のブログの期間限定一般公開について

現在、限定公開中のブログがいくつかありますが、12月から来年1月にかけて、一般公開とさせて頂きたいと思いますので、ご拝読頂けましたら恐悦の極みに存じます。

2013年10月31日木曜日

ブログ「パーセプトロンが線形分離可能であることについて」の閉鎖について

正式な苦情も、謝罪もなく、何やら嫌がらせさえある状況ですので、やむを得ないと思い閉鎖することに決定しました。メモと交互に公開ということも一応考えたのですが、まだ、嫌がらせをすれば、私が何かするというように思っておられる方も多いようですので。

当分、他のブログの記事の更新に関しても、お休みを頂くつもりです。別に全ブログを閉鎖しても、私はしかたないと思います。マスコミやタレントを始めとしたそれに影響される世間がこんなに薄汚い真似ばかりしているのであれば、当然の措置といえるでしょう。

本当に自分勝手な、学級崩壊状態にうんざりしていますよ。黙ることさえ出来ないというプライドはどこから来るんでしょうね。単に、不当に高い地位と収入を得ている後ろめたさから来るものじゃないのかとさえ思ってしまいますね。どうしようもないですよね。ふふ。

2013/11/04追記

そういえば、土曜から日曜にかけて、夜帰宅の時にいい車に乗っている連中が、信号が青になった途端クラクションを鳴らしたり、してきたのがあったな。違うかもしれないけど、前にクルマがいたのに、わざわざクラクションを鳴らしたから、一応念のために記録しておこう。

2013年10月28日月曜日

かけ算とわり算について(2)

さて、今回はわり算について少し考えてみたいと思います。

前回(かけ算とわり算について(1)) では、かけ算について、同じ値の足し算をいくつも行うときに効率よくやるやり方、ということを説明しました。

ということは、同じ値の引き算について効率よくやるやり方、というのも当然、存在するはずです。もうおわかりだと思いますが、それがわり算ということになります。

つまり、120円のりんごを5個買うときの値段が600円なら、逆に、600円払ってりんごを5個購入したら一つあたりのりんごの値段はいくらになるかというと、当然120円だろう、ということを求めたい。しかし、引き算でいくつ買えるかということを求めようとすると、これは、600から、5を120回も引かないと(あるいは、5を120回、足し算をして600と釣り合うということを引き算をして確認しないと)いけないわけで、大変だいうことになるでしょう。おまけに600円と5個いうように単位も違いますしね。

すこしコンガラガってきましたが、こういう場合、我々はイメージでは、600というまとまりを5分割しようとかんがえたほうが想像しやすいですよね。では、その5分割したときの答えが120というまとまりになるということを求めようするとき、どうすれば、効率よくやれるか、ということの方法として確立されたのがわり算ということになるわけでしょう。

あなたのお子さんは本当に引き算ができますか(1)で説明した教科書からの例を再掲すると、


 57枚の折り紙があります。これを3人に分ける場合、

  1)10枚ずつの折り紙の束をひとつずつ3人に配る
  2)残りの10枚の束二つをばらばらにし、ばらばらになった折り紙27にする。
    その27枚の折り紙を3人にそれぞれ9枚ずつ配る


というように、まず、上の桁から割り算を行うと効率が良いということでした。これは、かけ算と同じように、引き算の繰り返しをわる数との九九で上の桁から比較(ここに引き算を用います)しながらやっていく方法です。

 だいたいのお子さんは、ここまで説明すると、一桁の数で割るわり算はすぐにできるようになります。

しかし、問題は、割る数が二桁以上になる場合です。なぜなら、二桁以上の数のかけ算の九九はふつうすべて覚えることは不可能ですから、そこで、試行錯誤が必要となるからです。

例を挙げて説明しましょう。

 ① 60÷30

という、二桁同士の数の比較的簡単なわり算を考えます。わり算になれている方なら、簡単に2という答えが出てきますが、初めてわり算を習う人には、ここは基本中の基本であっても大変難しい問題なのです。この場合、学校の授業では、

 60÷30

は、

 6÷3

と同じ、

ということから教わります。わる数とわられる数が同じ数で割れるときは、割って良いというのは、分数でも出てきますが、これを理解するところから始めて、10の倍数の場合はわる数を一桁にすると、九九が使えるようになり、そこで初めて、以前に習ったわり算と同じ問題になる、ということを、まず、理解しないといけません。

このようなことを理解して初めて、

 ② 72÷36

というような問題を、わる数とわられる数を四捨五入して
 
 ②’ 70÷40

のような問題として考え、さらに

 ②’’ 7÷4

として商の手がかり求めるという手順を踏みます。

ところが、7÷4の商は1ですが、もともとの問題は、72÷36ですので商は2ですよね。ここで、ならいたての小学生は、72÷36の商をはじめは1として72-(36x1)=36という計算をして、余り36などとそのまま答えてしまうのです。

つまり、かけ算までは、一回で正しい答えが出てきますが、わり算になると、先ほどもいいましたが、試行錯誤が必要となり、余りの36がわる数より大きいか等しいならば、商を増やさないといけないし、逆に0より小さくなるようならば商を減らさないといけない、というこれまでやったことのない方法を学ぶ必要があるということです。

※ さらに、わる数が14と15の場合、四捨五入なら14は10、15の場合20となり、わる数は実際1しか違わないのに、見当をつけるための数が2倍になってしまいます。見当をつける数が2倍違うということは、そのときの商と目安を付ける数がたとえば、60÷10=6ですし、60÷20=3と2倍も違って来るということになるのです。

このように、わり算を良く検討していくと様々な落とし穴があるために、つまづきやすいということが良く解ります。

私がこれまでいろいろ試した結果、効果があったことは、

 1.わり算を効率よくするために上の桁からするということを理解させるために、一度説明した後、わり算を行うときに実際どうするのか、ということを児童がこちらに説明する

ということをまず行い、わり算についての方法論を理解してもらいます。

しかし、試行錯誤が必要だということを、なかなか理解できないというお子さんもいらっしゃいます。その点については、

 2.いろんなパターンの問題がすでに教科書や参考書にあるので、それを繰り返しといてもらう

ということをいま行っているところです。

ほかによい方法などもきっとあるのだろうとは思うのですが、現在のところ、このような状況です。

本当にわり算というのは、かけ算、およその計算、分数の約分のようなことを理解していて、初めて商の見当がつき、さらにその見当をつけた商も必ずしも一度で決定できる正しさを持っていない、という大変さがあります。さらに、また、その試行錯誤の過程で、引き算も正しくできないといけない、という問題もあります。このように、大変なわり算。小学校4年生の秋から本格的に習いますが、抽象思考に対する発達の差やそれまでの学習に対する理解の程度、など、一様な学力を持っていないこともあり、つまづくお子さんは多いと思います。わり算に関しては、習いたてのお子さんには本当に大変だということをご理解いただき、丁寧なご指導を教育関係者並びにご家庭にお願いする次第です。