2013年7月27日土曜日

健全という病気

今日、たまたまあるラジオの番組を聞いていた。具体的に言うと、東日本大震災に被災した子どもたちの作文を題材に取り上げた番組だった。

小さな子どもたちの話は興味深く専門家の方の話を聞いていたが、ある程度、そう、思春期にあるような子どもたちの作文の解釈がとても私には不思議だった。ああ、この人達は、理不尽ということに直面したことがないのだなと思った。

こういうと、きっと怒る人がたくさんいるだろう。わかっている。しかし、日本はつい六〇年前に理不尽という理不尽を味わってきた。戦争ほどひどい理不尽はあるか。これに直面して来なかった。私はそういうことを言いたいのだ。きっと、そういうことはなんにも考えず、安定した平和の日本にそれが当然として育ってきた世代が改めて、理不尽に直面してああだこうだ言っている、私にはそういう気がした。

昭和というのは、何だったのか。それを忘れたときに震災が起こった。その理不尽さは私をして、そういう理不尽さを忘れてしまったから震災が起こってしまったのだろう、などという変な感傷に耽らせる。

人は死ぬよね。私が高校生の時、同級生がバイクの事故で死んだ。テニスが好きな普通の男の子だった。仲がいいというわけではなかった。お葬式の日に持って行こうとした花束に蜂がいて、耳の裏側を刺された。今日と同じぐらい暑い日だった。お葬式ではひとり気分が悪くなり耐えられなくなり座った。出棺に火葬場へ一緒に行こうと彼と同じ小学校の校区の同級生に誘われたがなぜか行かなかった。どういうことかがわからなかったから。

彼のご両親が、われわれが書いた追悼文をまとめて本にしてくださって、渡していただいた。皆、感傷的なことを書いていた。一人、何か、一つ一つ整理して書いていた。ちょっと違うね。と誰かが言った。そいつとは、大学に入ってから墓参りに行った。でも、もう行かなくていいんじゃないかといったので行かなくなったが、今でもなにか割り切れない気持ちがしている。そういうものなのだろう、と思いつつも。

何かを整理して書こうというのは、怒りがあったからだろう。震災前が住み良かったとは限らない。震災後が悲惨であることは変わりがないが、理不尽は、等しく襲い、それぞれに違う結果を残した。痛みと怒りに向き合わざるをえないとき、一つ一つを整理して、残す。自分の痛みに気づかないふりをして。痛みに浸るということがよくわからないから。すこしずつ満ちる痛みに負けたくないと思いつつ整理しきれない気持ちを、何とかしたいと思うから。それが理不尽というものでしょう。

改めて思う。私が子供だった頃、皆がとてつもなく大きな理不尽を当たり前だと思っていた。当たり前だと思わなくなっている世代が居ることに、私は改めて衝撃を受けた。子どもたちのほうが、心の傷は深いだろうが、実は健全なのではないだろうか。当たり前に、普通に、という思いを平和な時代に育った人間の感覚を、私は病気だと感じる。

彼らの中には大変に苦労をして、それなりに頑張って道を切り開き、幸せにあることを得てきた人達もいるのだろう。

しかし、あるいは違う彼らはきっと、形式だけ残されて幸せに育ったのかもしれない。例えば、ご飯の食べ方だけはやたらにこだわるというように。そして、他人を怠け者だと非難して、その自分のものではないはずの権力の座にしがみつこうと、必死に他人に理不尽を押し付けているようにして。

分からない。ただ、私が今でも高校の時に亡くなった同級生を思うとき、胸が痛む。理不尽は突然やってきて日常を奪う。しかし、日常は強い力でやってきて、理不尽への感傷を奪う。そのやりきれなさが、彼らにはわかっているのかいないのか。それは分からないが、日常への嫌悪だけを実は取り上げたいのだというのであれば、それもまた間違っている。健全に育った自意識の病気だと思う。

2013年7月24日水曜日

何も変わりはしない

お上品にケーキを舐めとって

いかに他人を利用するかばかり

自分たちは決して反省しない

何もかも他人のものも自分もの

病人をしめて取り上げた労力

お前らが偉そうに批判できる立場か

やるべきことは単純だろう

自分の非を認めて私に謝ればいいだけの話だ

何を屁理屈ばかり言っているのだ

何を他人のものを取り上げて

まず自分たちのものにし続けたいのだ

お前らは本当に腐っている

お前らが仕事を辞めて七年間ただ働きすればできることもかもしれないじゃないか


他人を利用することばかり考えているお上品な君たち

君たちが滅びればいいだけの話じゃないか

君たちのエゴがこういう風にしているだけじゃないか


何をやっても決して謝らない君たち

君たちがこういう風にしているのだ

2013年7月4日木曜日

公開停止を無期限に延長します。

理由は、特に書かなくても分かっていただけるものと確信いたしております。

良心のある方々には、大変にご迷惑をおかけする事となり心苦しく思いますが、どうかご理解頂きますようお願いいたします。

2013年6月12日水曜日

所詮誰しもみんな自分のことしか考えていない

く

どうしても、何だかんだと利用され続けなければならないのだろうと、いつも考えます。

愛と正義、ウンザリですね。

早く仕事を始めたい。そして、自分の家庭を持ちたい。そんな、ささやかな望みすら、私は叶えられない。悲しいです。

良い加減、そっとしてもらえないですかね。なんだかんだと、屁理屈ばかり言われて、こちらの都合はまるで考えない。何年こうしていると思っているんだ。どこまで利用し続ければ気が済むんだ。

私は、公僕ではありません。両親の年金と、余りやりたくない家庭教師の仕事でわずかに日々の憂さを晴らし、療養を続けています。仕事もない。人生を選べない。傍目には、遊んで暮らしているよう見えるのでしょうが、毎日毎日何かが起きる。本当にウンザリします。

何度も言いますが、良い加減にして欲しい。結局、自分のことしか考えてない人たちのために、いつまでこうしていないといけないのでしょうか。そればかりを考えます。



2013年5月29日水曜日

結果としてマイナーになる

マイナー戦略をとっていると思われているらしい。私のこれまでのことである。ふーん。そういうことも考えないではないけれど、結果としてそうなったという方が、どちらかと言うと当たっている気がする。

例えば、である。私の若い頃は、半導体は産業としてかなりメジャーであった。就職し、そこで頑張ろうと思ったが、専門的な部分では細分化が激しかったことやそろそろ最も日本の半導体が強かった分野でメジャーだったDRAMも淘汰が始まっていて、いろんな方向性を探す時代にあって、最先端な部分をやっていれば、それはマイナーな部分になってきたというのがあった。

学生の時もそうだった。私はごく若い頃から人工知能に興味を持っていた。学部生の頃には第4世代コンピュータ(これは結局失敗に終わるのだが)というプロジェクトが国家的に推進されている時代で、人工知能は研究の先端でもありそれなりにメジャーな分野だった。

半導体にしろ人工知能にしろ、デジタルの時代であり、記号論理学は必須の項目であった。それが、たまたま私の性に合っていた。半導体もCPUはインテルが強くはあったが一極というほどではなくSUNのSPARCや後にIBMに吸収されるモトローラの半導体部門が製造していたMC68000などもそれなりに勢力があった。RISCかCISCかどちらが効率のいいアーキテクチャか競われている時代だった。ただ、日本は先も述べたようにDRAM全盛。それから少量多品種などという迷走を加え、消滅の危機にあるのだが、それはさておき、世界的にメジャーな分野での先端研究をやっていた。先端研究が最盛期の産業技術よりマイナーなのはしかたがないと思う。

そういう意味で、その後取り残された分野が再び注目されるようになったということが、私なりの解釈である。小林秀雄さんのことについては、単純に好きだったというだけのことだ。田舎者でかつ理系ということもあり、日本の中央の思想界のことを知らなかったという事実は間違い無くあるだろう。しかし、読書は良くしていた。村上春樹さんは好きではなかったし、吉本ばななさんもそうであったが、村上龍さんや宮本輝さんの本はよく読んだ。小林秀雄さんが菊池寛の事を良く言っていたことやエドガー・アラン・ポーのことなどを述べていたことに影響を受けたことや、高校時代からハードボイルド小説が好きだったこともあって、特に北方謙三さんの本をよく読むようになり、純文学よりむしろエンターテイメント小説のほうが優るのではとも思うようになりそのうち花村萬月さんが芥川賞をとった。

要するにそういうことだ。大学の卒業時期はバブル全盛期の末期だった。そこでなら就職は困らなかっただろうが、人工知能の研究をしたかったので進学した。それがメジャーでないといわれるとなんだかしっくりこない。ただ、自分の思うこと、やりたいことをやっていたということが、結局はメジャーではなかったけれど、新しい可能性を発見するきっかけになってきたということだと自分では思う。

2013年5月11日土曜日

ノマド

好きだった場所

丁寧な扱い

それが

どんどん変わって行く


そして

移りゆく私の仕事場

まさしくノマド


なにもかも

悪い方にしかかわらない

彼らが

熱力学第二の法則を持ち出すのも

理解できるというものだ