2013年10月24日木曜日

ブログ「パーセプトロンが線形分離可能であることについて」公開停止に関して

マスコミおよひ芸能関係者よる嫌がらせの為に、一部ブログを無期限の公開停止にし、その後解除してみたものの、数ヶ月と経たないうちに、また、世間からさまざまな嫌がらせをうけるようになりました。

もともと、ノーベル賞云々のこともあり、それ以前にも、悪質なデマを広く頒布するなどの迷惑行為をうけ、彼らによる精神的被害は、はかりしれません。

何年にも及ぶ、執拗かつ悪質な嫌がらせに、これまでも、様々な抗議活動を行ってきたものの、最も強いものでも一時的な効果しかなかった、という悲しい現状があります。

従いまして、抗議のためにパーセプトロンに関するブログのの永久的公開停止を検討しております。

代表者による文書による公式な謝罪を要求せざるをえまい、と考えているところです。

公式な異論、もしくは謝罪のない限り、11月以降の永久的な公開停止とし、内容の証明ための一時的公開をするという方向で考えております。

以上、よろしくお願い致します。

2013年10月23日水曜日

「ベルクソン「物質と記憶」メモ」の下書きについて

「ベルクソン「物質と記憶」メモ」の下書きをブログ「徒然の種々」にて公開しておりますが、ご存じの方も多いかと思いますが、第三章以降、大変不正確な記述と、当時やらされているということからくる不満に満ちております。従いまして、現在、「メモ」の方を閲覧中止にしている関係上、一部メディアの嫌がらせも多い関係もありまして、必要以上の誤解を招く恐れも多いと判断し、徒然の種々も閲覧中止とさせていただきたく思います。ご理解いただけますよう、よろしくお願い致します。

2013年10月17日木曜日

私のブログの目的について

なぜか、私がブログを書こうとすると、様々な思ってもいないような反応があって当惑し続けてきた。

例えば地味だとか、シーズしか考えていないとか。

いつのまにかノーベル賞だとかなんだとかで無理矢理やらされたことなどまったく苦痛そのものであり、世間の嘘がと強欲が発覚した現在、のびのびと読書もできるようになり、将来の希望は無くなったにしても、このような環境を取り戻せたことを本当に幸せに感じている。

それなのに世間はまたも色々注文をつけ偉そうにも只働きを強要する。あきれてものが言えないとは、このことた。

ところで、現在は都知事となられた猪瀬直樹氏の「ミカドの肖像」をこの頃拝読していて、思い当たったのだが、私の行動を、大衆消費社会における消費財と見なしているのではないか、ということだ。

例えば、現在は、旧軽井沢と呼ばれている、一部の人だけのものであった別荘地を大衆にも頑張れば手が届く、そういう商品を提供していく、そのようなことと、同一視されたのであろう。

本当に苦笑せざるを得ない。

もともと、インターネットは、寄付文化であり、私はGNUのさまざまなソフトウェア開発ツールに感銘を受け、そのような良いことを、社会に対する感謝のきもちを表すために、いわば、恩返しとして、やろうと思ったのであり、その意味でまさしく、ツールとしての、知識を提供する事がそもそもの目的であり、消費行動のための商品ではなく、むしろ、創造を支援するための、知的財産(IP)を提供する事が大きな目的である。

何度も述べたことだと思うのだが、どうも、その辺りを取り違えておられる方が多数いらっしゃるようであるので、改めて、記事を起こし注意を促す次第である。

2013年10月13日日曜日

あまりにくだらないことばかり

この頃起きることと言えば、本当にどうしようもないとしか言い様のない下らないことばかりでストレスが溜まります。


しかし、その下らない出来事の中心にいるのは、私。我が身の未熟さには本当に恥じ入るぱかりです。


木鶏とは言わすとも、無口程度にはなりたい。せめて、下らない争い事に使うエネルギーを良い方に使いたい。


それをこれからの目標にしたいと思います。


そこで、体調次第のところもありますが、せめて、中断中になっている二つのブログは完結させるか何らかの決着がつくまでは進めようと思っています。

2013年10月8日火曜日

結構我慢していたと思うんですよ

何度も警告したり、スレッドまで作ったりで、見える化したり、わたしなりに我慢はしたんですが、年寄りのわがままぶりと、茂木の開き直り方には我慢の限界を超えました。

もともと、やりたくもないことを無理にやらされて、そのことに味をしめた連中が相変わらず好き勝手やっているという認識です。要するに心が無いですよ彼らは。何とかじんとか切れやすいとでもなんとでもいえばいい。知ったことでないです。

ほんとうに、思想は嫌いなんです。イヤで仕方がなく、心の重荷でしか無いのです。

ソレで仕事ならまだしもねえ。ただでとか何考えているんだ。なんもわかってないくせに偉そうにだけはするんだからたちが悪い。それが封鎖の最大の理由です。

何もやってないと思われたり嘘をついたりする人もいますので、痕跡は残し、秘仏のようにごくまれに公開するということにします。

以上終わり。









































2013年10月6日日曜日

あなたのお子さんは本当に引き算ができますか(2)

さて、本題の引き算に入りましょう。

引き算を教えられてある程度、できると思い込んでいる子供さんがいます。例えば、

 987-543=

というような問題であれば、上の桁から10を借りてくることもなく計算できますから、すらすらと答えを出せるお子さんは多いと思います。

ところが、次のような場合、

 62-33=

29とうまく答えを出せる子供さんの中には、上の桁から10を借りてきて、ということを、パタンとして覚えているお子さんもいらっしゃり、そのようなお子さんの場合、

 301-32=

という問題がうまく解けません。どういうことかというと、301の十の桁が0であるため、さらに百の桁から十の桁に10を借す、ということが、桁上がり桁下がりの概念がわからないためにできないということです。

このようなお子さんの場合、たとえば、100円を1円玉に崩したら何枚になりますか?というような質問で、まず、100円玉は10円玉10枚になり、10円玉1枚は1円玉10枚になる、ということはわかっても、100円が10円玉10枚で10円が1円玉10枚だから、あわせて20枚、という返事が返ってきたりもします。

さらに厄介なことに、最近はゲームをやる子供さんが多いために、

 300-19=

というような後ろに0が二つつく場合にはパターンを覚えていて、正答できたりするので問題の根は深くなります。つまり、百の桁は一つ小さくし、十の桁は9にして、1の桁は10にして引き算をする、ということを丸暗記して引き算を行っている場合がしばしばあるようです。

とりあえず、わたしは、まず引き算になれてもらうために、下の図のような問題によって、パターンを特定できないようにしたうえで、検算もやってもらうことで、桁上がり桁下がりの概念を理解してもらおうとはしています。



このような問題を多数解いてもらうことで、とりあえず引き算についてうまくできるようになったというお子様は多いです

しかしながら、引き算はうまくできるようになっても、まだ、割り算はあまりうまくできないというお子さんもいらっしゃり、対応に苦慮している状態ではあります。これについて、また何かいい結果が出たら、お知らせすることもあるかと思います。

あなたのお子さんは本当に引き算ができますか(1)

家庭教師も4年目を迎え、小学生のいるご家庭の指導も増えてきました。

そこで、算数を教えているといくつかのポイントがあります。例えば、割り算ができないという子をいろいろ調べてみると実は引き算からできない。どうして引き算ができないかというと、桁上がり桁下がりの概念がよくわかっていない、というケースがしばしばあります。

そこで、今回、引き算を中心にこのごろの小学生の算数についてお話しようと思うのです。

まず、我々、いわゆるバブル世代(と呼ばれるのはいい思いを何もしなかった私にはすごく抵抗があるのですが)と違うのは、算数を教えるときに工夫して計算しなさい言うことを教えているようです。

例えば、
 
 29x8=(30-1)x8=240-8=232

というのが典型でしょうか。我々のころと違い計算機が発達したためか、力づくで間違えないように計算するというより、工夫して計算するということを勧めるよようになっています。

ほかに

 300÷25=(300x4)÷(25x4)=1200÷100=12

などですね。

割り算の説明もよく工夫されています。ある教科書の例を参考に説明すると、

57枚の折り紙があります。これを3人に分ける場合、

 1)10枚ずつの折り紙の束をひとつずつ3人に配る
 2)残りの10枚の束二つをばらばらにし、ばらばらになった折り紙27にする。
   その27枚の折り紙を3人にそれぞれ9枚ずつ配る

というように、まず、上の桁から割り算を行うと効率が良いということをうまく説明しています。


しかし、この場合問題になるのが引き算。桁上がり桁下がり、という概念がよくつかめていないお子さんは、割り算を行う際の引き算からすでにうまくできずつまづいてしまうという場合が多いようです。

次回は、本題の引き算についてお話します。